永遠な永久与え、そして自我を封じられていく日常

題名は結構考えた、理解できるわけがない・・・・・・・・・・・
普通の人はね。これって実は段々と薄れていくような気がしているのよね。


全くこれだからry・・・さて、友達も自分も偽って生きている
この世の中、結局騙し合いが続くわけですね。本性は当然隠しておき
皆ね自分の作った演じているキャラで役割を対応しているに過ぎないのである。
これはどの人でも言えるわけである。素で生きている人なんているのは
正直馬鹿であります。付き合いとしてもどこかで壁を作って置いて
深く浅くの付き合いが丁度いい。これが、社会や友達関係の基本ですね。
ギルティ業界も同じようなことはいうまでもない。
どこまでそのキャラクター性で生きられるか?がギルティ業界
だと思うし、役柄を作れば後はそのまま使いまわしすれば人の頭の中で
勝手にその人のイメージ像が出来るあたり都合いいね。




まっ、これで社会の平和になっているのが事実なわけであるからね。
世の中全員が、琥珀さんになりきっている辺りお互いお互いが手の内を
探りあう形で成り立っている社会なわけですよ。
偽るほど楽なものはない。幼い頃に辛いことがあれば頭で自分を
形成してそこに逃げれば心の崩壊は防げるわけと同じく、
他人と深い付き合いまでするほど馬鹿はいないでしょう。
深く浅くの付き合いの丁度いい所が他者の介入がなく自分の
テリトリーまでは介入されないのが暗黙の約束として前提条件となっている
から。これは結構当たり前であるから気が楽になっていく。
偽るということの辛さは段々気持ち良くなっていきそのうちけろっと
慣れてしまうものなんだよね。慣れって怖いねあはは(可愛く)



話している時の他人というのは、尺度を図っていることがあるけど
これは今後のためであると思われる。友達関係でも演じている方の
自分を出しとく方が対応するのも遙かに楽と思う。どんなことにもかなり
当てはまる可能性の方が高い。何年も付き合っている友達でも自分では
その友達の事は分かっているつもりかも知れないがそれは悪魔で一部分
に過ぎないと思ったほうがいい。一面性だけで判断している可能性はある。




自分を殺して生きていくのになんの疑問も感じない人がいたら
その人はもはや自分が死んでいると思った方がいい。それが自分を
殺すことに繋がり、自我も失い、演じている自分だけ残る。
生きているだけで自我あるというのはもはや植物人間に近い形だけど
それで幸せであると感じているならそれはそれで他人に気を使って
いく率が高くなるからいい方向に流れやすい。
役柄の自分だけ残れば自分に心の傷がついてもなんらダメージが
ないし痛みもなくただ笑顔で何事もなかったかのように普通に振舞う。
自分が残っていれば当然ダメージになるはずだけど既に死んでいる自分
にとっては問題ない話である。これってなんらかのリスクもなくて、生きていく
実感ですら実感と感じなくても普通でいられる所が幸せだと思う。
自分すら迷惑かけてないしね。


だから他人に気を使いつつ、自分の主張
を敢えて押し殺すことがもっとも心のダメージを食らわないベターな方法
かなとか思ったりする。自己主張の塊な人間な程問題が起き易いし、
改善するならひたすら同情や賛同していれば問題がおきない。
意見もそれとない当たり障りのない事言っていればいいしね。



良い子でいる程安定・・・・演じている方の自分に身を委ねて
本来あるべき姿の自分は殺しときましょう。