はっ・・・俺は一体何を書いていたんだろう

自分を自分でなくしていたような・・・・・・・・・・・・・
ちと危ない・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ書いていた間自分が自分で無くなっていたよ。まるで人形の
ように感情がなくなっていたから。考えるという思考すら停止していたし。


最近良く思う。自分自身は自分自身でないことに。自分が自分を
失っているのか、見失っているのかだんだん区別のありようすら
ないのかもしれない。まるでリビングデッドのようにただの屍
のような素振りすら見せていたりするし。



感情は一時的に戻ってはきたけどどこか別の世界で本来の自分を
壊されていた。冗談だと思いたいけどうやら現実の世界であると
自己認識した。何故?そんな風に思ったのかいや思ったのでない。
現実におきた出来事を否定し拒絶しているだけなんだろう。


如何わしいあの出来事は思い出したくない切り離したい。
だけど絶えず付き纏うのは一体・・・・・・・・・・・
どういうことなのだろう。体全体が現実を受け容れない部分が
じょじょに侵食していくようなそんな不快な気分になっていく。
口から吐いた。感情や言葉ですら語ること以上のことを・・・・
世界に存在していい時と駄目な時今の自分ははたしてどちらなのかと思う。


頭の中で全てを否定し自己のみを中心で考えればよくなってきた。
他人の考えは有益な部分以外は全て排除の形を取らせてもらってきた気もする。
だけど依存的な形は変わらないのだからそれは間違いだと気づく。
自己の考えは自己の世界だけにしとくのが無難といえる。他者よりは
自分が大事なのは正論であり他人が一番も正論なんだと思う。
どちらも肯定な意見であり否定な意見でもある。何故2つの結論こうも
反発しあうのだろう。俺には全く理解できない。


情報ですら全て如実に真実偽造なのかもはや区別できないほど今の
自分の心は荒みきっているのかも知れない。只の思い込みとして
ではなくこれこそ自分の現実である本来の姿なのかも知れない気がしている。
境界線をしくことで安定してきた思考回路ですら境界線の意味すら失せて
しまっている。段階別で処理している頭に瞬時にそこまで処理なんて出来はしない。
パンクして死にそうだ。



世の中を否定した瞬間自分は全ての自分が死滅していた。そこがたとえ夢であろう
となかろうと否定をしている自分がいた。これは世の中なのか?と疑問にすら
思ってはいけないことすら人間否定すらしていた。現実で否定しようがなかろうが
もう考えていた。いや考えってしまっていた。これが正しい生き方なのか?
これこそ人間が営む生活の終着点だったのか・・・はたまた現実とは現実
だけど現実というラインすら見えてない・・・・夢なら夢しかし夢というのは
存在が不安定なもの・・・存在ですら一時的なものにしか過ぎない・・・
その意見は自分の押し付けだ。だけど自己の世界でみえた希望すらない。
あるのは混沌とした人間の絶命していく姿。破滅していく姿。
希望の光は差し込まない。希望は夢の形の象徴であるから。奇跡ともいう。
混沌していく世界というのがある意味フィルターを通して分かる言葉の引用。


色々と壊れそうな感覚だね。世の中全部壊れていなきゃ・・・・・
とりあえず当分は変な日記になっていくなー頭が壊れてなきゃいいけど。